『ムダ骨折り』

  • 2020.09.14 Monday
  • 06:00




今回は、百丈(ひゃくじょう)禅師(唐の時代の方)とその弟子の僞山(いさん)禅師のことを中心に書いてみたいと思います。


現在禅の道場で実践されている修行の規則、朝から晩までの日課や年間の行事などの修行規則や生活方式は百丈禅師が定められ、『百丈清規(ひゃくじょう しんぎ)』としてまとめられました。

百丈さんは、とにかくマジメな方で、八十歳を過ぎても、若い修行僧にまじって「作務(さむ)」に出られていました。「作務」とは禅寺における肉体労働のことで、「作務衣(さむえ)」というのはご存知ですか、あのような作業服を着て働くのです。


「作務」は清掃だけでなく、畑仕事をしたり、森林の世話をしたり、薪(たきぎ)を作ったり、必要になれば倉庫などを自分たちで建てたり、井戸を掘ったり、水路を作ったり、道路を切り開いたりというような作業も自分たちで行っていました。

ある日、老師の健康を心配した若い弟子たちが、老師の作業道具を隠してしまったのです。すると、老師はUターンして「方丈(ほうじょう)」に戻ってゆかれました。


「方丈」とは住職の自室のことです。1丈四方の大きさだから「方丈」といいました。だいたい4畳半ほどの広さですね。鴨長明に『方丈記』という作品がありましたね。

そして、その日から食事されなくなりました。弟子が心配して理由を尋ねると、「一日作(な)さざれば、一日食(くら)らわず」とおっしゃったそうです。有名な格言になって残っていますね。

今日一日働かなかったのだから、今日は食事する資格がないというわけですね。


まあ、百丈さんはそんなマジメな方だったのですが、ある日、友達の司馬頭陀(しば ずだ)がやって来ました。この人は「観相」の名人だったそうです。人相ばかりでなく、地相なんかも観るのです。

そして、百丈さんに言うんです。「おい、すごい山を見つけたぞ!あの山に道場を建てたら千五百人の弟子を養うことが出来る」


百丈さんは言うんです。「そうか、じゃあワシが行こうか」

司馬さんは言います。「いや、君じゃだめだよ。あの山は『肉山』だが、君は『骨人』だからな。君が行ったら五百人ほどしか弟子は集まらんよ」

百丈さんは生き方も精神も骨太でしっかりしているんだけれど、包容の器というものが小さいんですね。

 でも、誤解しないで下さいね。器の大小は「悟り」の深さ・高さとは関係ありません。大きいお椀に盛られた水でも、草葉の露でも、満月がそのまま同じように映りますね。小さな水だから月の半分しか映らないというようなことはありませんね。

ただ、お月様が地平に近い、低い位置にあると、場所場所でお月様が水面に映ったり、映らなかったりしますね。


この月の高低は、その人の「志」の高低をたとえているのです。

たとえば、野球選手がいて、その人がいいプレイヤーになりたいという「志」を立てて、真剣に修練していると、ある時、ふと開眼します(悟りが開けること)。

つまり、その選手の器の水に満月が宿る(映る)ようになるのです。


そうすると、その選手は、これまで抱えていた自身の能力の限界を超えたようなプレイが楽々と出来るようになります。

しかし、その選手がこの悟りを使えるのは、野球という競技の場面だけです。人生の他の場面ではこの悟りは使用出来ません。だから、引退した後、道を踏み外してしまうという往時の名選手も出てくるわけです。

なぜなら、その選手が持っている「志」は、「いいプレイがしたい」という小さくて低い、個人レベルのものなので、野球以外の他の場面では、お月様は水に映らないからです。

もし、「世のため、人の幸せと成長のために尽くしたい」というような高い「志」を持つと、お月様は空高く輝いているので、人生のどんな場面においてもその人の器の水にお月様が映りますね。このような高い志を持った人が悟ると、人生のどんな場面においても悟りを使用することが出来るようになるのです。


しかし、「いいプレイがしたい」とか、「お金持ちになりたい」いう程度の小さい、低い「志」を持って修練すると悟りは比較的容易に手に入りますが、「世のため、人の幸せと成長のために尽くしたい」というような高い「志」を抱いて修練しても、なかなか悟りは開けません。

ですから、あせらず、黙々と、手っ取り早い成果を求めず、一生でだめなら、次の生で続きをやるというぐらいの覚悟と粘り強い修練が必要なのです。


百丈さん自身にはその山に移る資格がないということなので、百丈さんの弟子達のうちから、その山にふさわしい人物を選抜しようということになりました。

司馬頭陀は、弟子達を順に目の前で歩かせます。その歩く姿を観相して「肉山」にふさわしい人物を見出そうというわけですね。そして、選ばれたのは、「典座(てんぞ)」という食事係を担当していた僞山(いさん)という若年の弟子でした。


抜擢されたといっても、お寺を建ててくれ、経済的な面で援助してくれる檀家も紹介してくれて、準備万端整えて「さあ、行ってきなさい」と送り出してくれるというような、そんな虫のいい話ではないのです。

ただ単身で出かけて山に分け入り、その辺の木を切り、枝葉を重ねて屋根にして掘っ立て小屋を作り、木の実や野草やキノコを採って食べて生活するわけです。


そのようにして、嵐の夜も、雪の朝も、人に知られず、鳥獣を友として、何年間もそこで黙々と坐禅修行していました。

すると、ある時、猟師が道に迷ってふらっとやってきて、こんなところにお坊さんがいるということに気づきました。話してみるとなかなか出来たお坊さんのようです。


そこで、知り合いにその和尚の話をして、次第に僞山さんのウワサが広まって…、四十年年後には、何と!千五百人の弟子を集める立派な大道場が出来上がっていたのです。

四十年ですよ、すごく息が長い話ですね。その間に死んでしまうということもあり得ますね。人知れず、ひっそり消えてゆく。そうなっても構わない、文句なしに黙って死んでゆくぞという覚悟を決めておられたのですね。中途で終わっても、続きは次の生(しょう)でやればいいのですからね。


僞山さんには及びもつきませんが、大敬の場合は、四十歳代後半で発心して、しあわせ通信をはじめ、福岡で禅の会をはじめました。

月に一回、原稿用紙20枚ほどの文章を書いて、はじめは3人の人にコピーして送っていました。そのしあわせ通信を、その3人の人がコピーして知り合いに送って下さり、次々増殖して、全国のたくさんの人に読まれるようになりました。


教師という本業がありますから、執筆の時間はなかなか取れません。日曜日や祝日が主な執筆の時間で、ですから私は自分のための趣味や楽しみの時間というものを持ったことがありません。

月に一度、20枚の原稿を書き続ける、それをもう20数年間も途切れずに続けているわけですが、これは結構大変なことなのです。

書いたからといって、一円の収入になるわけでもありませんし、その文章が後の世に伝わり残り、読まれ続けるという保証もまったくありません。何とも張り合いのない話なのです。

白隠禅師は、「ソレ(禅の究極の悟り)は、井戸に次々雪をほうり込んで埋めようとするようなもんだ。そんな『ムダ骨折り』を(雪は投げ入れるとすぐ融けてしまうので、いつまで努力しても決して井戸を雪で埋めることは出来ません)、汗水流してアホウ仲間と一緒に喜々としてやりぬいてゆく、それが禅の極意なんだよ」とおっしゃっています。


「世のため、人のしあわせのために…」という志がしっかり定まって、その行動に何の疑いも持たずに、ひたすらやりぬいてきたというような、そんなカッコいい話ではないのです。

『面倒だなあ』と、ちっともやる気がしない時もあれば、職場や家族で色々トラブルを抱えていて『それどころではない』という気分の時もあります。

そんな時も、いったん書き始めたらそれらを引きずることなく、きれいに忘れ去って書くことに没頭しなければなりません。そうでない文章には「お月様の光」は宿らないからです。


私は、40歳代後半に、志を立てて、本業の仕事以外に、もう一つの仕事、世のため、人のために尽くそうという行動をスタートしましたが、現在40歳代あるいはそれ以上の年齢になっていらっしゃるお仲間の皆さんも、わたしのように、どんな小さなことでもいいから、世のため、人のためのボランティア的な行動(仏教では「ダーナ(布施)」といいます)を選び取って、本業以外にもう一つの仕事をスタートして欲しいですね。

そんなダーナ(ボランティアの行動)を、成果を求めず、見返りや反響を求めず、黙々と、淡々と、取りあえず20年間続けて欲しいと思います(生が尽きたら、次の生で続きをやってください)。


道元さんはこうおっしゃっています。「雪の山の奥に、人知れず梅の花が一輪咲いて香っている。その一輪の花の香りと光は実は世界全体に届いて、そして世界に平安をもたらせている。梅の花も知らないし、世界の人々も気がつかないことなのだけれども、そうなのだ」

自分のささやかなダーナの実践が、世界を癒しの香りで包みこみ、人類や他の生類に平安をもたらしている。自分にはそんな自覚はないけれど、他の人にも分からないことだけれど、道元さんやお釈迦様がそうおっしゃっているのだから、きっとそうなのだと信じて、この実践をやり続けましょうと決めて、とにかく20年間やり通してごらんなさい。その果てに、きっとあなたのまわりに「大らかで、明るくて、安らぎに満ちた世界」が展開してくるでしょう。「大敬先生のおっしゃることを信じてやり続けてよかったなあ、老後にこんなに有難い人生が開けてくるなんて…」ときっと喜ばれることになるはずです。私はあっちの世界であなたの喜ぶ姿を見て、その喜びを共有したいと思います。

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